パンデミックに翻弄されるイタリア:試行錯誤の文化再生

2020.04.19

 

ヴェネチア、1日で激減した観光客

 

  中国武漢で新型コロナウィルスが猛威をふるっていた2月初旬、私は仕事でイタリアを縦断中だった。その時、滞在したヴェネチア近郊の町でも、南のプーリア州の町でさえも、新型コロナウィルスの流行は地球の遥か彼方で起きている大惨事としてしか受けとめられていなかった。それから1ヶ月も経たないうちに、イタリア中にウィルスが蔓延し、国全体がロックダウンになるとは誰も想像していなかった。

 イタリアの観光シーズンが始まるのは3月下旬ぐらいから。しかし、2月のヴェネチアのカーニヴァル(謝肉祭)だけは別で、毎年世界中から観光客が押し寄せる。それなのにニュースでは、今年はヴェネチアでさえも、カーニヴァル期間中のホテルや飛行機の予約キャンセルが相次いでいると伝えていた。

 

実は、私も2月に所用で再度ヴェネチア滞在の予定があった。ヴァポレットという船の発着所に迎えにきてれた宿の人と少し話す。「今冬は11月に起きたアクア・アルタ(高潮)の最高水位が2m近くになり、過去50年で最大の高潮だった。でも、それはヴェネチアの一部の話で、風評被害で観光客がすっかり減ってしまった。そして今度はこのウィルス騒動。よく来てくださいました。ありがとう。」と感謝される。

さぁ、翌日からさっそく用事をこなさねばと思った矢先、新型コロナウィルスによる初めての死亡者のニュースが流れた。そして、それからの数日間で、瞬く間に変貌していくヴェネチアを目の当たりにすることになったのである。

 

 パラッツォ・ドゥカーレとガレリア・デッラ・アカデミアへは、閉館前に行くことができた。通常とは異なり、行列はなく入場者はまばら。例年のヴェネチア・カーニヴァルより、人が少ないというのは本当だった。町中は、豪華な衣装で変装した市民や、彼らと一緒に写真を撮りあう観光客とで大変な賑わいにみえたが、通常は満席であるというレストランはどこも空きが目立った。

 新型コロナウィルスの感染者がヴェネチアのあるヴェネト州内で死亡したニュースを受けて、ヴェネチアのルイージ・ブルニャーロ市長は、2月23日に開催予定だったサン・マルコ広場でのカーニヴァルのイベントを急遽中止した。224日からは、大学までの全ての学校、劇場、博物館も閉鎖となった。すると、学校の閉鎖と共に、町に人がほとんどいなくなってしまった。各施設の閉鎖決定が、ウィルスの怖さをより増大させ、人の流れや経済活動にこれほど影響するのだということを改めて実感した。そして3月に入り、コンテ首相による飲食店・商店の営業停止令を受け、ヴェネチアだけでなく、イタリア全土から観光客はもちろん住民も消えてしまったのだ。

 

 

過去最高の訪問者数と観光収入の年から、暗黒の時代へ

 

 ユーロスタット(Eurostat)とインスタット(Instat)の統計結果が示すように、2018年度におけるイタリアが観光業に携わる人口は420万人と、欧州で一番多かった。イタリア全体の観光収入は継続して伸び続けており、2018年の観光客数は前年度より+6%の増加、宿泊施設利用者は+4%の増加だった。2018年度にイタリアを訪問した観光客の50,5%は外国人観光客。増加したのは観光客だけでなく、ビジネス目的の旅行も前年比で13,9%の伸びである。これは、商談・会議・イベント参加、レクチャーのための教員移動、展示会や見本市参加のための移動のことで、イタリア国内の経済活動も順調に大きくなっていたことを示している。

 

 イタリアの文化・観光業分野への取り組みは、順調に数字に反映してきていた。2014年より就任のダリオ・フランチェスキーニ文化財・文化活動・観光省大臣が、5年以上かけて取り組んできたプロジェクトが大きな効果を発してきたからである。フィレンツェのウフィッツィ美術館、ナポリの考古学博物館といったイタリアの主要な博物館の再生は、単に建物の修復、展示方法や開館時間の調整だけではなかった。イタリア中の国立博物館を月1回無料開放して、文化遺産に接する機会を増大させ、国民の文化に対する意識を変えた。映画産業や劇場文化においても、国外からのディレクターを奨励した。大胆な手法で次々と復興し、かつてなかった試みばかりだった。

 

 観光においても、イタリアの過疎地や極小自治体を再評価する活動やイベントを積極的に行い、地域の若者や民間団体に自発的な試みを促し、スタートアップを増大させた。アルベルゴ・ディフーゾやアグリツーリズモ、サイクリングツアー団体などがいい例である。健康ブームも相まって、サイクリングロードもずいぶんと整備された。イタリアの試みは、国外からも注目を浴び、日本からも行政、民間、研究機関などの視察団体がちょうど絶え間なくやってきているところだった。

しかし、ロックダウンを受けて、月末まで持ちこたえられない事業者が出はじめたころ、イタリア政府は、イタリア国内でVAT登録をして税務申告をしている者に対して、3月分の給付金600ユーロの支給が41日からスタートすると発表し、申請者には直ちに振り込まれた。申請者の国籍は問われない。4月分からの給付金は、800ユーロが給付されると発表されたばかりである。

 

パンデミック後に向けて

 

 苦労して築きあげ、順調に伸びてきていたイタリアの文化・観光事業が、たった1ヶ月で崩壊した。

 今年度のイースター(復活祭)は4月12日。せめてイースターまでには、新型コロナウィルスの猛威はおさまるだろうと誰もが願っていた。ところが、出稼ぎ先の北部から南部へ逃げもどる人や物資の移動と共に、ウィルスはイタリア全土に拡散されてしまった。その結果、外出制限が延長され続けて現在に至っている。特に、人が集うことで成り立つ産業や事業、演劇やコンサート、映画、観光業、飲食店などは、完全にストップしたままである。

去年の春に日本人のエンジニアグループ十数名で食事をしたレストランオーナーから悲痛の連絡があった。「もうどうすることもできない。まず、今月の店の家賃を払うことができない。運よく子供3人は既に自立しているが、これから自分と妻とどう収入を工面していっていいか途方に暮れている。何かアイデアがあれば、何でも協力するので力を貸してほしい」という内容で、返答に困ってしまった。ナポリのあるカンパニア州では、料理はもちろんピッツァの宅配営業も許可されていない。イタリアの料理人はどうすることもできないので、自宅でつくるレシピを披露するビデオをSNS へ投稿し続けるシェフもいる。

 これまでのやり方では対応できないということが誰もが認識していて、既に新しいアプローチで急成長しはじめる会社や事業者も現れた。例えば、スーパーに買い物に行けない人たち、スーパーに買い物に行くのが怖い人たちのために、感染リスクの少ない辺境の地からの食材発送、ネット注文や宅配システムの充実化などである。

 

 復活祭明けに、ダリオ・フランチェスキーニ文化財・文化活動・観光大臣から「復活」に向けての指針の発表があった。

内容は、段階的に博物館、映画館、劇場、コンサートなどのイタリア文化面の事業を再開していくというもの。外国人観光客が戻ってくるまでには、かなりの期間を要するため、まずはイタリア人のイタリア人のための文化生活から再生したいようだ。小さな試みとしては、食料品店と薬局のみが開いていたイタリアで、本屋や文房具屋をまずは営業再開させるという。

 観光業に関しては、イタリアの今後は非常に厳しい予測がされている。長時間飛行機に搭乗するリスクを負ってまで、旅行者が簡単に戻ることはないだろうというのは、もう誰もが察知している。

「万が一、この初夏までにコロナウィルス が沈静化するなら、今夏のバカンスはイタリア国内を渡航先として優先し、バカンスをするのに年収が満たない家庭には、何だかの補助金を出す。」というフランチェスキーニ大臣の発言には正直驚いた。夏のバカンスの渡航先には、これまで少し遠回りをしながら進めてきたイタリアの小さな村やボルゴ、巡礼などの徒歩コース、サイクリングコース、地方の第三セクター鉄道を利用するべきだと強調している。安全な場所を訪問し、こうした過疎地の経済を復興させることで、イタリア人同士の連帯意識を高め、可能なところから徐々に経済を再生していきたいようだ。

 

 博物館に関しては、芸術作品のバーチャルツアーをネットフリックスなどのプラットフォームを利用して公開することを検討しているとのことである。実際にいくつかの美術館では、バーチャル美術館を3月からスタートしている。ナポリのサンカルロ劇場でも、無償のオンラインの演目スケジュールと時間が発表された。しかしこれを続けているだけでは、アーティストの保護には到底ならないし、経費をカバーもできないだろう。「映画館や劇場に観客が戻るのは、感染リスクが伴うので簡単にはいかないが、スペクタクル分野には1億3000ユーロ(日本円で約152億645万円)を投資して、解決法を模索している段階です。しかしこれまでのように、人が集うようになるには、1〜2年と年単位で相当な時間がかかるだろう。」とのこと。しかし、以前のように博物館や劇場に客が密集することはもうないだろうという専門家の声もある。

 都市交通、グローバルな物資の流れ、医療体制、イタリアの場合は保健所のシステムなど、都市機能の見直しが早急に進んでいる。企業や働き方の在り方も、現在イタリアで盛んに議論されている。多国籍企業や大企業に押され、どの分野においても中小企業や小規模店舗が淘汰されはじめていた2019年までのイタリア。パンデミック後に、これまでのこうした傾向を変えるチャンスと考える人もいる。

 

 フランチェスキーニ大臣の指針は、イタリア国民を内的に再生させることからはじめようという、国民の心情にはインパクトがあるが、かなりスローにも映る。子供にとっての1年、2年は大きい。休校が続いている学校のオンライン授業のカリキュラムの枠組みづくりが早急に必要だ。地域、学校、先生によってオンライン授業の内容に差がありすぎる印象がある。教育が成り立っていないと、文化の継続は不可能である。

 すぐに元の生活、または元の生活に近い状態に戻ることすらないと、多くのイタリア人は状況を受け入れはじめているのを実感する。イタリア国民は、外出制限が解かれると、まずは自身が太陽に当たり、人との距離のとり方を身をもって体験するだろう。イタリア人同士の連帯感が、キスや抱擁、ダイレクトなソーシャル関係なしにどこまで固められるのか、(現時点ではまだ本当に休暇がとれるかどうかは不明だが)夏の休暇後に再生へのモチベーションがどれだけ高まっているのか、ここにまた報告したい。