アマルフィの民泊ー進化する観光地ー
クリスマスをアマルフィで過ごしました。
アマルフィは、日本でもよく知られているように、急勾配の山が約55kmに渡って続く海岸沿いにあります。夏は水中翼船が就航しているので気軽にこれますが、それ以外の時期、特に冬期は陸の孤島。バスの本数もかなり減り、ナポリに住んでいてもなかなか近寄りがたい場所です。
このようなアクセスの悪さにも関わらず、ここ20年ほどでアマルフィは、世界的な観光都市に変貌しました。夏のバカンス期は、今ではオーバーツーリズム気味で、市内の狭いメインストリートは大混雑。地元住民の生活にも問題が出ているようですが、現在のところ、北イタリアの観光都市のように「tourist go home」などと落書きをして、観光客排斥を訴えるような風潮にはなっていません。 アマルフィのホテル稼働率は、初夏から初秋にかけては100%に近いそうですが、冬はお客さんが少ないので閉める宿がほとんどです。そんな中で、唯一やってくるのは、日本人をはじめとするアジアからの観光客。実際、24、25日には、日本人の個人旅行客を10組ほどみかけました。何人かの方とお話ししたところ、ほとんどの方が、レストラン付きのホテルに宿泊し、ミラノ在住の日本人家族だけが、友人宅に泊まっていました。
実は、12月にやってくるのは、観光客だけではありません。アマルフィ海岸から北イタリアまたは海外へ職をみつけて移住した人たちも帰省します。北部へ移住した人が戻ってくるのは、春のイースター祭、8月、クリスマスです。久しぶりの家族や親戚、友人と再会して、笑顔で抱き合って挨拶をし、近況を伝え合う光景をあちこちで見かけました。
観光業や農業、地元にある職業以外の仕事に就きたい若者は、町を出ていってしまいます。誰も住まなくなった住宅は、家族や親戚が帰省した時のための家でしたが、こうした空き部屋を利用して、ここでも民泊が誕生しています。ここでいう民泊とは、ベットアンドブレックファーストという朝食付きの貸し部屋、旅行者を対象にした貸し家などのことです。なかには、高級ホテルの部屋よりも絶景が望める民泊もあります。私が泊まったのは、アマルフィのドゥオモの真横にあるアパートでした。副業として民泊をはじめた人がいるのでご紹介します。
一人は、パオラ・ガルガーノさん。彼女に初めて会った時は、まだ小学生の小さな女の子でした。私が初めてアマルフィにきたのは、1998年の8月。私の所属していた大学での都市調査でした。その時、実測させていただいた住宅のお嬢さんが、彼女だったのです。
パオラさんは、ピサの斜塔で有名なピサの大学を卒業し、故郷のアマルフィに戻ってきました。写真撮影の才能にも長け、コンピューターにも強い彼女は、アマルフィにある民泊やツアーの予約サイトを運営しています。実は私も、民泊サイトでアパートを予約したら、彼女から突然電話が掛かってきて「あのサイトを運営しているのは私よ!」というので驚きました。アマルフィの住民は、お年寄りが多く、不動産を有していて貸せる部屋があっても、どうやっていいのか分からない人が多いため、彼女に運営を任せている住民が多いそうです。
●パオラ・ガルガーノさんの運営する予約サイト
リヴィング・アマルフィ・コム(livingamalfi.com)5軒ほどの民泊、ボートツアーなども手配
https://www.livingamalfi.com/?fbclid=IwAR3NWzDgZBgp-NTEudVsyK5NBZlSoU4IZQiBsgibnKLOukzESBJb0Mss01g
もう一人はピエール・ルィージ・カリファーノさん。お父さんと同じくエンジニアの彼は、アマルフィ海岸内の商店や住宅をリノベーションしてきました。アマルフィのドゥオーモから階段を少し登ったところに彼のご自宅があり、その横の小さな部屋を貸しています。アマルフィの町は、長い歳月をかけて少しずつ斜面に建物を積み上げてきました。部屋の間取りも不整形なものが多く、上がったり、下がったり。先人たちが工夫を凝らしながら、少しでも快適に暮らせるように空間をとってきたことが分かります。ピエール・ルイージさんのアパートも、そんな入り組んだ路地の上にあります。部屋の中には、11世紀のものとされる柱が残っていてこの町の歴史の深さを物語っています。ここに泊まった日本人の知人は、歴史の中に寝ているようで感慨深かったそうです。
●ピエール・ルイージさんのB&B
ラ・カーザ・ディ・アミーチ (La casa degli amici-Residenza tipica Amalfi Centro) (5人まで宿泊可、トレッキングガイドもしてくれます)
https://www.airbnb.jp/rooms/1747968?location=Amalfi%2C%20SA&adults=1&toddlers=0&guests=1&s=s2AI1ATh
アマルフィのほとんどの民泊は、元々は普通の住宅だったので台所や居間がついています。毎回食事をつくるのは大変ですが、昼か夜の1回でも料理をして、テラスで食事をしてみるとなかなか楽しいものです。台所には、最低限の調味料がついているところが多いようです。住民に混じって魚や野菜を買物してみると、町の人と思いがけない会話を交わすことができます。お店で、「セモリナ粉はありますか?」と聞いてみたところ、隣で買い物をしていたおばあさんが、ガラガラの大きな声で「オレキエッテ(耳たぶの形をした南イタリアで食べられるパスタ)をつくるの?」と横から言います。こうして店内でレシピについて会話が弾みました。これが夏だと、店内は観光客で混雑しているので、住民やお店の人とこんな会話を住民とすることはほとんどなかった記憶があります。
住民の多くが観光業に関わっていると、実際に民泊を営業することで、近所や親戚のやっかみを受けることも少しはあるそうです。しかし、私が知るかぎり、南イタリアの他のリゾート地と比べると、アマルフィの経営者同士の関係は穏やかにみえます。サルディーニャ島や、ナポリ近郊のイスキア島でインタビューした若者は、行政、住民、地元メディアなどの理解を得ず、大変苦労していました。アマルフィでは、上の世代の人たちは若い人がはじめる活動を暖かい目で見守っているようです。若い人がスタートアップしやすい町というのが、観光地として継続していくのに重要なのだと改めて感じました。
アマルフィのまちづくりに力を入れているのは、住民だけではなく行政も同じです。2016年の12月にもアマルフィに滞在しましたが、その時はよく似たおみやげ物屋が数軒しか空いておらず、レストランもほとんど冬期休業中。イルミネーションはありましたが、もっと暗い印象でした。ところが、この冬はアマルフィ市が頑張ったそうで、印象が全く違いました。市庁舎前広場には、子供たちが喜びそうなサンタクロース村が設置され、海岸沿いにはライトアップされたゴーカート場、町のメインストリートには子供用の電車が朝から夜遅くまでなんども往復していました。そして、もっと画期的な変化は、アマルフィの西側の墓地まで一気に上がるエレベーターが完成したことです。20年前からプロジェクトはあったそうで、欧州補助金を得て2018年11月にようやく工事が完成したそうです。
何年も前から、冬にも観光客を誘致しようとアマルフィ市は努めてきました。夏以外にも、観光客がきて楽しめる町、アマルフィ。民泊だけでなく、若いオーナーによるセンスのいい商品を扱うお店も増えてきました。古い町の基盤はそのままにして、本当に必要とされているものを少しずつとりいれる。
アマルフィで民泊にとまってみて、これまでホテルに泊まっていた時には体験できなかった住んでいるような体験ができました。食材を買いにいったり、ゴミを出したり、近所の人と挨拶をしたりという体験ができたのは、部屋に台所がついていて、すぐ真横や正面に住民が住んでいたからだったことも大きいと思います。アマルフィの人たちは、穏やかでとても親切。ほとんどが知り合いか親戚、または何だかの関係で繋がっているようです。経営者が近所とよい関係を育んでいないと、近所の人は隣の家に泊まっている客には目も合わせてくれないかもしれません。住民同士だけでなく、外からくる人にも寛容であることが、結果的に町にたくさんの利益をもたらすことになるのだと痛感しました。その寛容さの度合いが難しいところなのではないでしょうか。